職人の町(集合住宅址) Workmen's Village

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 デイル・エル=メディーナの職人の町(集合住宅址)は,新王国時代に王家の谷や王妃の谷などの墓の造営に携わった人々が生活していた村です。幅約50メートル,長さ約150メートルの範囲にわたって,壁で仕切られた部屋が背中合わせに続いていて, 巨大な長屋という感じがします。壁は,石を積んだ間に泥を詰めたもので,1メートルから1メートル半位の高さまで残っています。ここから山越えの道を歩いて,約30分で王家の谷に着くことができます。(現在は許可なく登ることは禁じられています)。約70軒の家の跡が発掘されており,パピルス文書やオストラカ(文章や素描の描かれた陶器の破片や石灰石のかけら,単数形はオストラコン),石碑など数多くの資料が発見されています。特にラメセス王朝(第19~20王朝)期の人々の暮らしを解明する上で,非常に重要な遺跡となっています。
 とくに多数のオストラカに書かれた銘文を分析することによって,この共同体の生活だけでなく,ファラオの労働者たちの社会や職業の組織も,細部まで再現できるようになりました。居住区域は約2ヘクタールの面積を占め,ラメセス朝時代には約400 人の人口を擁していたようです。周囲を日干レンガの壁に囲まれ,壁の内側には約70軒の住居, 壁の外にも50軒あまりの家がありました。建物は日干レンガで作られ,椰子の葉や木材の屋根におおわれていました。室内には三つから四つの小さな部屋が並び,室内の階段からテラスに出られるようになっていて,床下に地下室が掘られることもあったようです。室内の壁は,チョークと泥土と細かく切った藁で作った漆喰でおおってから,白塗りして彩色していました。室内の一画には,ステラ(石碑) の立つ小さな礼拝堂があり,そこで家の先祖やメレトセゲル女神が礼拝されていました。メレトセゲルは 「沈黙を愛する者」という意味で,アル=クルンを擬人化した,村の守り神でした。 家の敷居は石でできていて,木製の扉を とめていた蝶番のあとが今も残っています。柳の籠は日用品を入れておくためのもので,食料や液体は陶製の容器に入れて保存されました。化粧品や香油を入れる小さな壺や青銅の鏡が比較的豊富に出土するのは,身体の手入れが重視されていたことをはっきりと示しています。家具は,椅子,スツール,ベンチ,収納箱程度のものでした。さらに食料や食べかすが発見されたことから,住民の食事は基本的に麦と魚からなっていて,仕事の報酬として職人たちに配給されていたこともわかりました。また果物,豆類,蜂蜜,肉(ほとんどが鶏肉。肉は贅沢な食べ物)が食べられ,麦を発酵させて作るビールが伝統的な飲み物となっていました。給料に相当する食料の配給が滞ると,職人たちが墓地の書記に抗議し,書記はそのことを宰相に伝えました。たとえばラメセス3世の治世第28年に,ある書記が,宰相あてに次のような報告書を作成しています。「...国庫や穀物倉や倉庫にあったすべての食料品が底をつきました (略)どうか生き延びる手段を与えてください。私たちは死にかけており,実際に,もはやそう長くはもたないでしょう...」。状況がなかなか改善されなければ,労働者たちはストライキを行いました。
 職人たちがここに集められた理由としては,王墓の秘密を外に漏らさないようにするためと良く言われますが,労働管理の意味もあったと考えられます。職人たちは「真実の場所の奉仕者」という称号を持ち,特権的な同業組合を形成していました。デイル・エル = メディーナの職人村には 第20王朝末期まで人が住んでいましたが,その後,完全に放棄され,砂漠の砂と山の残土に埋もれたこの村が発見されたのは,ごく最近のことです。

現地にある模型
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女神メレトセゲルを祀った石碑(トリノ博物館蔵)
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